1981年〜1983年

1981年【昭和56年】
初めて雑誌『写楽』に広告と共に掲載。
佐藤佳代/14才

この広告掲載をきっかけに『Nikon/フレッシュギャル・コンテスト』に入賞して、準グランプリを獲得。
並行して日本TV『スター誕生』にも応募ハガキを出す。

1982年【昭和57年】
3月7日
東京・池袋/西武デパート屋上
『Nikonコンテスト』撮影会にモデルとして出演すると共にTVインタビュ−で憧れの芸能界への思いを語る。

10月
『スター誕生』(中部/名古屋地区予選)大会で決勝への出場を賭けた最終予選会に出場。
北原佐和子の『マイ・ボ−イフレンド』を歌唱。
見事に合格して決勝大会への切符を手にする。

1983年【昭和58年】
3月30日
後楽園ホ−ルにて日本TV『スター誕生』第46回決勝大会開催。

中森明菜の『スロ−モ−ション』を力の限りに歌唱して、見事にグランプリを獲得。
同時に『スター誕生』の番組終了に伴いユッコが最後のチャンピオン

4月
名古屋市立向陽高校入学

●サンミュージック/キャニオン/研音/VAPの4社から契約指名の連絡が入る。

両親は福田専務の度重なる説得交渉で『3年間』の条件付きで合意。
福田専務の熱意ある説得と同じ『スター誕生』出身の桜田淳子が長らく所属している事から、サンミュージック事務所を選び、レコード会社をキャニオンに決める。

5月12日
映画『アイコ16才』のオ−ディションを受ける。

5月15日
サンミュージックとの正式契約の為に母親と上京。
故・相澤秀禎社長(サンミュ−ジック創設者)のリクエストに応えて、薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』と松田聖子の『秘密の花園』を歌唱披露。

7月17日
相澤社長と親交のある霊能者・沖紘子によって最初の芸名『オカダハルコ』と決まるが、後に『岡田有希子』に改名。

7月21日
向陽高校のクラス全員で『佳代ちゃんガンバ!』の送別会。

8月25日
両親と姉、高校の仲間たちに見送らながら、芸能界デビューに向けて上京。

東京駅到着後、ホ−ムで出迎えた初対面の溝口伸郎マネージャーに元気に挨拶して、相澤社長宅に向かう。
相澤家の2階の寮には、堀越学園で同級生となる3月にデビューした桑田靖子とデビュー前の滝里美と共に下宿生活を始める。

8月26日
レッスン開始。

事務所の先輩でもあり、堀越学園の同級生となる桑田靖子と初めて出会う。

9月
堀越高等学園に編入。

■芸能コ−ス/主な同級生
田中久美/高部知子

石野陽子/長山洋子

桑田靖子/倉沢淳美

桑田靖子/松本友里

本田美奈子/永瀬正敏

10月10日
男性誌『POPEYE』にスタジオ・スチ−ル写真が初掲載。
岡田有希子として芸能活動を開始。
10月16日
ラジオ生放送『とびだせ!ポップシティ』DJ開始。

毎日放送『何かいい事ないかな仔猫ちゃん』DJ開始。


10月26日
事務所の先輩歌手・早見優のマネージャーだった福田万里子が担当マネージャーに加入。

11月
東京大学『歌謡研究会』オ−クション・アシスタントとして参加。

11月8日
憧れ続けていた大好きな河合奈保子からサインを貰って大感激する。

11月18日
東京大学『駒場祭』出演

11月22日
テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』、ドラマ枠でウェイトレス役で初出演。

12月12日
デビュー曲『ファ−スト・デイト』レコ―ディング開始。
レコーディングの際、作詞作曲を手掛けた竹内まりやが激励しに訪れて大感激する。

12月20日
レコーディング

12月25日
名古屋で取材




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